太田正孝は平成の世直し

岡山県議会議員|自民党県議団 太田正孝  選挙区:岡山市北区・加賀郡

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太田正孝 自民党岡山県議団政策研究会「政友会」事務局長
自民党岡山県連遊説局長

太田正孝は、ふるさと岡山を
何とかしたい!
そのために日々、必死で訴え活動しています。
どうか皆様、太田正孝を応援して下さい。

太田正孝 県政便り

県議会議事録:太田正孝の岡山県議会での発言

市議会議事録:太田正孝の岡山市議会での発言

 

岡山県庁

岡山市役所

自民党岡山県連

吉備中央町

平成の世直しで県政の前進を。

平成の改革侍 「太田正孝」

財政も教育もご案内の通り、最低に近い状態で、岡山県は重病人とも言えます。その岡山県を「産業振興」と「教育再建」を二本柱に、再生を図っています。これは知事一人の力でできるようなものではありません。私たちも変わらなければなりません。変わるためには、まず「分析力」、「団結力」、「実行力」を持つことです。

最初の「分析力」はとても大切です。皆さんも学力調査の結果が全国で下位であったこと、さらには問題行動や不登校が多いこと等、聞いてビックリしたはずです。他県では子どもたちの教育が問題として取り組んでいたにもかかわらず、岡山県は教育県と高をくくっていたからです。産業面でも水島に依存し過ぎたのか、次の準備が十分ではなかったため、企業誘致等で出遅れています。これまで井の中の蛙だったのではないかとの指摘もあります。これまでを反省し、現実を直視し、問題点の分析をすれば、必ず解決策を見つけることができるはずです。分析力とは正に問題の本質を見つけ出す力です。この分析力を持たなければ、現状を変えることは出来ません。

二番目の「団結力」とは、県全体でいうと「県民の一致団結」ということです。これまで地の利、天の恵み頼みになっていたことが多かったのではないでしょうか。商工業の振興、農産物の開発・販売ルートの拡大に、他県では一枚岩になって取り組んでいます。口では簡単に「岡山県ももっと団結すべき」と言えますが、団結できなければ、岡山県がジリ貧から抜け出すことはできません。皆さん、真の団結を図ろうではありませんか。

最後の実行力です。まず決められない政治から決別しなければなりません。志なく財政規律に縛られ過ぎた結果、実行する意思が弱くなってしまったことは深刻な問題です。いま弱気になっている暇などないはずです。そして、いま何をすべきか優先順位を決めて、ものごとを動かす力が必要です。実行する政治に転換し、県政の前進を図ろうではありませんか。

「分析力」、「団結力(県民の一致団結)」、「実行力」について、この三つのことをしっかり持つこと自体ちょっとやそっとのことでは出来ることではありません。元横綱大鵬は「忍」という言葉が好きで、「心の上に、刃を置いて相撲をとってきた」と言葉を残しています。大鵬は心の上に刃を置き続けて相撲をとったことで、素晴らしい土俵人生にしたのですが、「平成の世直し」は心の上に刃を置いて粘り強く行っていかなければできないと正直思っています。私は県政を必ず前進させます。これまでと変わらぬご支援を賜りますよう何卒よろしくお願い申し上げます。

 

                              岡山県議会議員 太田 正孝

 

経 歴

役職ほか

岡山県議会議員連盟

自由民主党岡山県支部連合会役職

自由民主党岡山県議団役職

学 校

社会福祉法人

一般社団法人

その他

会 員

※県議選結果:岡山県議会議員初当選(42歳)の得票数「7,492票」、二期目当選(46歳)の得票数「10,911票」、三期目当選(50歳)の「13,669票」

 

家 族:妻、娘二人

好 物:カレーライス、焼き肉、うどん

趣 味:スポーツ観戦(とくにサッカー、野球<中日ドラゴンズファン>、F1)、旅行 オートバイツーリング(随分昔のことになります。限定解除はしています。)

 

〇尊敬する人:坂本龍馬、加藤美徳【恩師】

〇好きなスポーツ選手:マイケル・ジョーダン、ダルビッシュ有、黒田博樹、 アイルトン・セナ、
クリスチャーノ・ロナウド、ガレス・ベイル

〇好きな作家:司馬遼太郎、塩野七生

 

座右の銘

「継続は力なり」 「敬天愛人」 「縁ありて花開き、恩ありて実を結ぶ」

 

何故、政治を目指したのか。

平成3年7月に会社を辞めて、政治の世界に飛び込みましたが、辞める際に当時の上司から 「結婚していないから、子どもがいないから、ローンがないからそういう結論を出せるんだ。」 と話をしてくれました。 あれから20年以上が経ち、上司の言われていたことがよく分かるようになってきました。

節目々々に色々なことがありましたが、この時のことは今でも鮮明に覚えています。あれはベルリンの壁が崩壊した時です。誰もがこれで世界が変わると思ったように、私もドキドキしました。

そして、湾岸戦争。激しいハイテク攻撃に衝撃を受けました。どうしようもないという諦めに襲われました。希望に満ちた気持が一瞬にして幻滅へと変わるには、時間はそれほど必要ありませんでした。

こうした世界の大きな流れのなかで、バブルの浮かれた感覚のままではいけないぞとの感覚がどこからか芽生えて来ました。また仕事をしていて、幾つかの矛盾にも出会い、その思いを加速させ、いつしか「人間として大切なことに関わりたい」との思いまでに思いが昇華してしまいました。それはサラリーマン生活3年3カ月経った時のことです。

そこから、代議士秘書の道を選び、市議会議員、県議会議員、今に至っています。

 

政治の世界に入ってビックリ、政党の力量を上げなくては。

私が勤めていた会社は当時八千人ぐらいが勤めていました。それまでは、これほど大きな組織には関わったことがなかったので、組織の凄さを知りませんでした。オートバイ、ヨット、四輪用のエンジン等にしても一日たくさんの完成品を出荷していました。何故大量生産できるのかというと、当たり前のことですが、生産性を高められるように工場が整備され、そこに適切に訓練された人が配置されているからです。

それに比べて、政治の仕事はまだまだ職人芸のようなことができる政治家が担っているに過ぎません。衆議院議員選挙に小選挙区制度が導入され、制度的には政党政治になるように舵が切られたのですが、政治家は「政策立案の研鑽」と「選挙に勝てる体制を常時作っておくこと」に余りにも強い関心を持ち続けています。政治にも組織的な取組をもっと取り入れたいのです。政党と有権者との距離を縮めたいのです。そして政治のレベルを高めたいのです。そのことで、日本が良くなると信じています。

 

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